3
大正2年8月1日〜大正9年8月19日
井上芳邦氏作成「貝島炭砿株式会社経営変遷概要」から
年 | 月 | 日 | 記 事 | |
大正 | 2. | 8. | 1 | 大之浦坑夫社宅に始めて電灯を点す。 従業員数 大之浦砿 5,843人 |
〃 | 3. | 4. | 菅牟田第三坑に木造二階建の病院建設、本院とする。 | |
〃 | 4. | 2. | 11 | 菅牟田第三坑に人道斜坑の開鑿に着手、大正10年4月30日竣工、人車運転。 |
〃 | 4. | 1. | 私立岩屋尋常小学校を設立す、大正5年6月6日開校式を擧行する。 人員 5,656人 | |
〃 | 4. | 〜 | 防爆対策として、坑口に検身所を設け、坑内に喫煙室を設置。 | |
宮若市石炭記念館1階に展示の検身所 左は、当沿革史作成の井上芳邦氏 (写真:井上邦彦アルバム集から) |
||||
〃 | 5. | 2. | 6 | 私立貝島菅牟田尋常小学校を設立する。 |
〃 | 5. | 11. | 1 | 初代社長 貝島太助氏逝去する。(享年72歳) 二代目社長に貝島栄四郎氏就任。 |
〃 | 5. | 11. | 休業中の桐野第一坑残炭の採掘を開始。 | |
〃 | 6. | 3. | 29 | 貝島家修業給費生徒内規を制定し、従業員の子弟より選抜して中学校及び専門学校に就学させて、卒業後貝島事業に従事させた。 人員 7,706人 |
〃 | 6. | 12. | 21 | 桐野第二坑においてガス爆発が起り、殉職者369名を出す、大正7年2月15日再びガス爆発があり、千石川の水を注入する。 |
〃 | 〃 | 露天堀開始のため、笠松村笹ヶ峠及び八丁下の原野を買収し、表土除きに着手する。 | ||
〃 | 7. | 1. | 充填用採砂用地として、嘉穂郡幸袋町庄司及び若宮村原田の両地を買収し、土砂運搬軌道の敷設工事に着手する。 | |
〃 | 7. | 4. | 5 | 私立大辻尋常小学校を創立する。 人員 7,432人 |
〃 | 7. | 8. | 〜 | 菅牟田五坑及び岩屋炭砿において、米騒動が勃発するが、大事に至らず鎮静する。 |
〃 | 7. | 〜 | 笠松村笹ヶ峠及び八丁下に満之浦露天堀を開始する。 | |
笠松地区の露天掘 写真:山田玲子様(四郎丸)ご提供 |
||||
〃 | 8. | 1. | 25 | 嘉穂郡大分炭砿開坑式、同年10月第二坑開始するも、大正11年譲渡する。 |
〃 | 8. | 10. | 18 | 役員改選、3代社長に貝島健次氏が就任。 資本金1,000万円 |
〃 | 8. | 11. | 3 | 貝島合名会社設立、 社長 貝島 栄四郎氏。 資本金 1,000万円、 |
〃 | 〃 | 貝島商業株式会社、 社長 貝島 太市氏。 資本金 1,000万円、 | ||
〃 | 9. | 2. | 庄司―菅牟田間の充填用専用鉄道が開通し、庄司採砂場(面積160町歩=480,000坪)の操業を開始する。 人員
8,917人 この頃より菅牟田三・四・五坑、満之浦六坑共、壁掘採炭に土砂充填を開始する。 |
|
新坑の充填ポケットと充填汽車(S30頃か) ここから水力パイプで坑内まで砂を運ぶ (写真:「貝島炭礦の想い出」から) |
||||
〃 | 9. | 5. | 26 | 納屋の呼称を廃止して、砿夫社宅と改称する。 |
岡本氏製作「炭住模型」 宮若市石炭記念館展示 |
||||
〃 | 9. | 8. | 19 | 明治24年以降三井物産会社に委託させた石炭販売契約をようやく解除し、自主販売を奪回する、明治25年2月債務増加のため井上馨候を通して、三井物産に借財するため、厳しい条件を甘受し、自家生産の石炭販売権を委託せざるを得ず。明治27年からの日清戦争による、炭価高騰のため借金返済するも、販売権を返さず苦労、30年にして漸く目的を達する。 |