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明治17年10月~明治38年3月20日
井上芳邦氏作成「貝島炭砿株式会社経営変遷概要」から
貝島炭砿株式会社経営変遷概要 | |||||
年号 | 年 | 月 | 日 | 記 事 | |
明治 | 17. | 10. | 初代社長 貝島太助(直方市古町生まれ)、小山田甚平氏より上大隈代の浦に、借区 2,300坪。 | ||
〃 | 18. | 4. | 更に同氏より、44,760坪を買収して 計 47,060坪とした。 | ||
〃 | 18. | 11. | 3 | 大之浦炭砿を代の浦に開発し、11月3日を会社創立記念日と定める。 | |
貝島炭礦創業記念碑(上大隈代の浦) |
本城から直進約2km 100m近くに石炭記念館あり |
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〃 | 21.6~23.初 | 菅牟田旧本砿を開鑿。(現在の双一開発附近) 明治38年休山。 | |||
〃 | 21. | 10. | 8 | 私立貝島大之浦小学校を開校(生徒15名、うち男子10名、女子5名)炭砿私学の始めと云われる。 | |
〃 | 23. | 3. | 1 | 撰定砿区制度発布に伴い砿区拡張、(大之浦砿区532,596坪・菅牟田砿区228,267坪) 計 760,863坪。 | |
〃 | 26. | 9. | 桐野第一砿開鑿。(現在宮田駅上高野団地北部) 昭和15年11月11日閉山。 | ||
〃 | 28. | 春 | 菅牟田第一砿(旧五砿配給所裏)に開鑿。 明治43年1月15日休山。 | ||
〃 | 29. | 1. | 撰定砿区時、京野炭砿区82,720坪を買収大谷炭砿と称し、その後増区して303,100坪満之浦砿区と云う。 | ||
〃 | 29. | ~30. | 引続き買収増区し、376,605坪と拡張する。 | ||
〃 | 29. | 大之浦炭砿を大之浦砿山と改称して、桐野、菅牟田、満之浦砿業所制とする。 | |||
〃 | 29. | 3. | 第七砿(当時満之浦本坑→満之浦第一坑(明治40.9.30))→大之浦第七坑(大正13.3)を笠松村四郎丸満之浦に開鑿、倉久川を利用し川船による送炭。 | ||
満之浦第一坑(明治40.9.30) 写真提供:山田英世・玲子、野口律子 |
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〃 | 29. | 5. | 大辻炭砿(遠賀郡香月町)を帆足義方氏より買収、第二大辻香月炭砿と称す。 | ||
〃 | 31. | 1. | 第二坑旧捲卸(当時大之浦四坑とも云う→明治40.9.30桐野第二坑斜坑→大正13.3大之浦第二坑旧斜坑)開鑿。 傾斜 19°12′ | ||
〃 | 31. | 5. | 15 | 貝島砿業合名会社設立。 資本金200万円 | |
〃 | 33.1~34.2 | 勝野―桐野間専用運炭鉄道建設。 工費152,000円 | 平成18年現在の桐野地区の旧JR宮田駅跡 ここから勝野駅経由で若松まで石炭輸送をした。 この前に広大な石炭貨車操車場があった。 左手森の位置は貨車に石炭を積み込む ポケットがあった。 |
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〃 | 〃 | 岩屋炭砿(佐賀県東松浦郡厳木村)買収し斜坑を開鑿。 | |||
〃 | 33. | 5. | 5 | 私立満之浦小学校を開校(大之浦第三小学校→昭和23年公立に移管)生徒数40名。 | |
〃 | 35. | 12. | 満之浦砿区、川艜(かわひらた)による石炭輸送を廃止し、汽車輸送とする。 |
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遠賀川をいく川艜(直方市石炭記念館パンフレットから) |
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〃 | 36. | 3. | 20 | 菅牟田炭砿で、ガス爆発発生、殉職者14名を出す。 | |
〃 | 36. | 5. | 5 | 満之浦第八坑を笠松村笹ヶ峠に開鑿、大正10年4月休山。 | |
〃 | 36. | 10. | 菅牟田第四坑を開鑿。 大正12年休山。 | ||
〃 | 37. | 磯光―菅牟田炭砿間専用運炭線路敷設。(旧本坑―小竹駅間の馬車鉄道終る) | |||
〃 | 37. | 3. | 20 | 桐野炭砿でガス爆発発生、殉職者46名を出す。 |