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昭和27年5月〜昭和41年9月

                        井上芳邦氏作成「貝島炭砿株式会社経営変遷概要」から

記                  事
昭和 27. 5. 大辻炭砿会社は、貝島炭砿所有の佐賀県杵島郡橘砿区及び同郡三間坂の試掘砿区を譲り受ける。
27. 9. 1 貝島炭砿再評価積立金の一部を組入れて、資本金を2億2千万円に増加する。
10月1日更に3億3千万円に増資する。
27. 10. 13 大之浦労組及び職組、賃金値上要求斗争において、48時間ストを行い、17日より無期限ストライキに突入し、12月16日に中止、(通称 63ストライキ)職員組合は、12月11日よりスト回避し就業する。

炭住街でのデモ行進
写真:「貝島炭礦の想い出」から
27. 11. 24 大辻炭砿株式会社は佐賀県杵島郡橘村に橘炭砿を起工する。
この年従業員 9,157人
日本開発銀行より、本部開発資金として3億円の融資を受ける。
大之浦炭砿、坑内全従業員に鉄帽の着用を開始する。

鉄帽 キャップランプを着用している
写真:「貝島炭礦の想い出」から
大辻炭砿の採炭能率は砿員1人1ヶ月出炭16tを超す。( 9区平均 9.44t )
28. 4. 準看護婦養成所を貝島病院に開設する、10月17日に認可される。
28. 5. 20 大之浦職員組合、炭労を脱退する。
5月デイーゼル機関車(ドイツ・フンボルト社製)を初めて、第三坑坑内において使用する。

上記の機関車とは同型とは不明だが・・・
写真:「貝島炭礦の想い出」から

28. 7. 11 大之浦労組は、スト規制法反対の指令スト24時間行う。大之浦労組は、新賃金交渉のため、24時間ストライキ引続き10月22日〜24日各方、2時間及び早退スト、10月26日〜30迄保安遵法斗争、11月11日解決する。

貝島本社前のデモ行進
写真:「貝島炭礦の想い出」から
28. 11. 1 貝島炭砿は祖砿権設定中の笠松砿「砿区面積18,239アール(1,823,900u)」を金丸砿業株式会社に譲渡する。
28. 11. 14 大之浦西五砿坑内左五片三尺桝に落盤事故発生し、殉職者5名を出す。
28. 12. 17 東部開発工事竣工し、新菅牟田砿と命名、始業式を擧行する。
水平坑道掘進、延長 8,720メートル
坑内運搬 2立方米、鉄製炭車 819台、6屯デイーゼル機関車 8台     
総工費 18億7千500万円(附帯工事費を除く)
   内融資借入額    貝 島 資 金   4億8千400万円   
                開発銀行資金 9億円   
                     計   13億円8千400万円   

年  月  日 記                  事
昭和 28. 12. 28 東部開発工事の第二水平坑道貫通し、新菅牟田砿と西五坑間が一本坑道にて連絡する。   12月1日新菅牟田砿発足。(三坑、東三坑を合併する)

昭和30年頃か新菅牟田坑坑口からボタ山を望む
 右下に新坑グランドがあった。
写真:「貝島炭礦の想い出」から

昭和35年頃の新坑グランドでの運動会 
奥のボタ山が左写真の右のボタ山
(写真:「貝島炭礦の想い出」から)
29. 5. 21 毛勝坑中止(S.29.6.14届出)。  S.26.10.より坑内堀を併用していた。
29. 7. 12 第七坑閉山(S.29.10.2届出)。
30. 1. 第六坑縮小。  1日1,348人、→ 4日738人、           人員6,869人
32. 4 .3〜37.6. 前隈露天堀 S.32.4.1起工式、S.32.6出炭開始。
S.37.3.8 北終堀、 S.37.6 南終堀、 出炭 39,986t
33. 4. 1 西五砿、新菅牟田砿に吸収合併。

新坑ボタ山から手前に新坑東区、遠くに西五坑、二坑を望む
写真:「貝島炭礦の想い出」から

35. 2. 2〜38.6. 六坑柿の木露天堀、 S.35.2.1 起工式、 S.35.2.15 実施事業案認可。
S.35.2. 出炭開始、 出炭 29,689t
35. 3. 第一次合理化、砿員 650名、 職員 67名、 計 717名整理。
36. 3. 第二次合理化、賃金切下げ14.6%(一月額、砿員4,000円、職員5,000円)。
36.3〜37.4 西五砿碇山水洗炭。    7,585t
36.4〜38.10 六砿碇山水洗炭。(西村 S.36.4〜37.6 7,431t、有馬 S.36.12〜38.10 25,013t)
36.5.28〜40.8.30 第一毛勝露天堀、S.36.5.5 起工式、S.36.6.16 実施事業案認可、
S.36.5.28 出炭開始。   人員5,525人
36. 12. 9 金丸碇業株式会社より福祖登第2118号 16,298アール合併。 ※ 1 アール = 100u但しS.7.26福祖登第698号平賀七作 292アール、第699号大谷傍970アールが設定されているが、S.41.7.26消滅。
36.11〜37.6 第三次合理化、六坑閉山、間接部門分離。
鉱員1,407人、職員71人、 計 1,478人整理。
S.36.7.1共榮作業株式会社(硬捨、荷役)→S.40(露天堀建設)→S.47.11.1貝島工栄株式会社に改名、
S.48.1.1新九州開発株式会社を合併。
S.36.12.1大之浦商事株式会社(日用品)→S.43.10.1貝島物産株式会社(資材)→S.49.9.1西日本株式会社(木材)に合併。
S.37.7.3貝島開発株式会社(測量、試錐)→S.45.7.7貝島興発株式会社に合併
S.37.9第六坑採炭中止。
37. 8. 11 金丸砿業株式会社へ福祖登第728号 5,742アールを譲渡する。
37.9.24〜 中央露天中央地区、S.36.12.20起工式、S.37.3.5実施事業案認可。
S.37.9.24道路造成開始、
S.37.10.7Cアプローチ開始。
S.40.10.30東部ロータリー開始、
S.47.4〜S.48.4中止、S.48.5再開、
S.50 終掘。                人員4,521人


年  月  日 記                  事
昭和 38. 2. 第四次合理化、賃金12%棚上げ、生産協力協定。労働条件、福利厚生等全面的な切下げとなる。
38. 4. 1 満之浦炭砿株式会社設立(旧六砿)、
S.38.5.30坑口使用許可、S.38.9.5実施事業案認可、
S.38.5.30発足、
S.38.6.1出炭開始、
S.43.4.30採炭中止する。

新坑のポケットエレベーター
この下の国鉄貨車に石炭を流し込む
写真:昭和38年「貝島大之浦」新聞から
38. 5. 貝島 太市 氏 死去。
38.4.25 〜38.11.15 第二会社設立のため砿区分割する。
             ※  1 アール = 100u = 30.25坪     
38. 9. 第五次合理化、第二坑、第五坑、を第二会社に移行、竪坑は、黒字体制確立。露天堀は安定収益、  砿員2,292人、職員312人、 計 2,604人整理。
38. 10. 第二次大之浦炭砿(株)設立、 S.38.11.25坑口使用許可、 S.46.5.10採炭中止。
菅牟田炭砿(株)設立、 S.38.11.25坑口使用許可、 S39.4.14施業案認可、
S.43.1.17採炭中止。
40. 6. 10 賣山のため、毛勝炭砿設立。                      人員2,609人
40. 8. 10 第一毛勝露天堀採炭中止、 S.40.7.29閉山交付金申請、
S.41.5.26登録消滅、
S.41.5.31 交付金受領 24,820千円。
41.5〜41.9.21 第二毛勝露天堀を菅牟田炭砿が操業。      15,400t