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昭和41年9月22日〜昭和51年8月5日

                        井上芳邦氏作成「貝島炭砿株式会社経営変遷概要」から


年号 記                  事
昭和 41.9.22〜48.9 菅牟田炭砿、福採登第2514号に貝島炭砿福祖登第771号280アールを設定し、これより、第二毛勝炭砿は貝島炭砿の分となる。尚S42.8.7第2514号を分割し、第二毛勝露天は第2652号の貝島自砿区の出炭となる。
41. 10.   第六次合理化、大之浦砿の第二会社に移行。
砿員1,571人、職員197人、 計 1,768名を整理。
41. 11. 7 大之浦炭砿株式会社設立。
S.42.2.10坑口使用許可。
S.48.11.28採炭中止。
41. 12. 1 砿山名変更、大之浦炭砿を貝島炭砿(露天)と大之浦炭砿(坑内)とする。
43. 1. 17 菅牟田炭砿、採炭中止。   人員 1,180人
S42.11.25 閉山交付金申請、  
S.43.3.11 登録消滅、
S.43.3.13 閉山交付金受領、   229,620千円。
43. 2. 10 賣山のため、大之浦炭砿福採登第2640号を大之浦炭砿第2722号 13,232アールと東大之浦炭砿第2723号 56,612アールに分割する。
43. 4. 30 満之浦炭砿、採炭中止。    S.43.4.5 閉山交付金申請。
      S.43.8.3 消滅登録。    S.43.8.6 閉山交付金受領 166,255千円。  
44.6〜48.8 中央露天西部地区採掘

中央露天掘 深さ70mにもなった。
(写真:「貝島炭礦の想い出」から)
44. 9. 18 7月頃より西卸坑6目抜(-230m)附近よりの湧水が始まり、7月28日1.2?/分、8月7日 2.2?/分、 8月22日 2.9?/分、8月28日3.3?/分、9月始め 3.5?/分の湧水を集水いたが、第四水平ダムが、14°00′この頃から湧水し始め、18°00′となり、東大之浦炭砿を放棄する。
44. 9. 18 東大之浦炭砿、採炭中止、  
S.44.9.30 閉山交付金を申請。
S.45.2.13 消滅登録、    
S.45.2.16交付金受領 1,491,058千円。
44. 2.   S.44.2〜S.45.7中央露天桐野地区出炭。   
50,661tS.48.6 に終掘する。   人員1,070人   
46. 4. 22 第三西部露天、起工式、 S.46.9 出炭開始する。
46. 5. 10 第二大之浦炭砿採炭中止、 
S.46.4.14 交付金申請、
S.46.8.10 消滅登録、  
S.46.8.13 交付金受領 788,156千円。

昭和45年頃の「新坑竪坑と周辺」の光景 鉄財は、かなり赤茶けている。
平たい裏山は、新坑ボタ山。高速道路などの盛土として利用されていったとのことである。
写真:故井上芳邦氏アルバム集から
記                  事
昭和 47.9.〜 中央露天第二西部を起工。
宮若市石炭記念館から100mほどにあった露天掘
大之浦中学校卒業アルバムから
48. 11. 28 大之浦炭砿採炭中止、  
S.48.8.14 閉山交付金申請、
S.46.8.10 消滅登録、   
S.46.8.13 閉山交付金受領 788,156千円
※筑豊炭田坑内堀完全に終了する。             人員 359人
51. 8. 5 貝島炭砿完全終閉。                      人員  7名
















































平成18年10月 広大な露天掘り跡(ほとんど埋め立てられている) 左に六ヶ岳を遠望する 
右手100m付近に宮若市石炭記念館がある。