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昭和20年8月15日〜昭和21年12月

                        井上芳邦氏作成「貝島炭砿株式会社経営変遷概要」から

年号 記        事
昭和 20. 8. 15 終戦詔勅あり、山元においては、捕虜中国人労務者解放され混乱する。
20. 8. 21 昭和21年6月まで、中央発電所の運転を休止。
20. 8. 25 終戦により、大之浦第八坑の採掘を中止する。
20. 9.   第七代目 社長貝島 義之氏、 S.18年6月18日から辞任。
20. 9. 18 台風のため、大之浦、大辻炭砿出水。
大之浦第二坑本捲斜坑区域が水没し、採掘を一時中止する。
大辻炭砿では、停電事故を併発し、10月14日全作業箇所が水没する。
20. 10. 1 炭砿会社役員異動、第八代目社長 貝島 太市氏。
この頃終戦と共に労務者が激減し、事業に支障を来すに至る。
 
採炭現場
(写真:「貝島炭礦の想い出」から)
※大之浦炭砿々員在籍者数
年度\種別 採炭夫 仕繰夫 掘進夫 直接夫計 坑内間接夫 坑内間接夫 全砿員
19年末 2,333 2,384 747 5,464 1,130 4,246 10,840
20年末 980 1,189 230 2,399 438 1,070 3,907
※19年度末在籍者の内
朝鮮人 華人 捕虜 勤労報国隊(女子挺身隊含む)
3,470 297 472 857 5,096
 
※大辻炭砿々員在籍者
年度  種別 採炭夫 仕繰夫 掘進夫 直接夫計 坑内間接夫 坑内間接夫 全砿員
19年末 429 516 112 1,057 139 651 1,847
20年末 76 229 110 415 45 258 718
※19年度末在籍者の内
朝鮮人 華人 捕虜 勤労報国隊(女子挺身隊含む)
398 194 0 173 765
 
S.20.9.岩屋炭砿第六坑に於いては、砿員不足のため、採炭を中止す。
20. 10. 1 本社を宮田町上大隈に移す。
昭和30年代か 貝島本社(上大隈)前でのデモ
(写真:「貝島炭礦の想い出」から)
20. 10. 30 第二次人員整理を発表し、諸員287名を整理する。
20. 10. 31 砿員不足のため、第二、第三坑を休止し、第五、西五、東三、第六坑に集め採炭する。
20. 10.   岩屋炭砿立川地山区域の開発掘進を完了し、同区域にて集働採炭をする。
20. 11.   大辻炭砿に労務特配米支給される、11.20より増配米5合、S.21.1.1より六合配給される。
S.20.12.1より、家族加配一割増、S.21.1.1より三割増。
 
昭和 20. 12初旬 大之浦労務者の自主的団体「友愛会」結成(S.21.2労働組合に発展的解消)
20. 2. 9 岩屋炭砿々員に、終戦慰労金支給、労働時間短縮、賃金値上げ、その他を要求し、27日迄ストライキ、参加延人数 6,720名、 12月26日、岩屋労働組合を結成。
大之浦七坑一丁田露天堀の採掘を終了する。
 
労務者特配米は、10月より前月分のの実績に応じ以下のように各家庭に配給した。
  16才以上〜60才
200g 基準 400g
120g 330g
  16才以上〜60才
90g 基準 330g
50g 330g
終戦に伴い、各坑就労の外国人が引揚げた。
9月20日大之浦在砿の捕虜約800名、長崎に向け出発。
11月20日大辻在砿の中国人労務者188名追山。
11月22日大之浦在砿の中国人労務者253名追山。

戦後になり「捕虜収容所で温かい世話になった」と
宮田町に訪れたアメリカ兵
写真:「大きな音を」から
下期   労務者対策として、徳島、愛媛、岡山、鹿児島の各県に労務者募集駐在員を配置する。
21. 1. 20 北支井堅炭砿会社派遣員が引揚げ、7月8日全員の引揚げを終わる。
21. 2.   大之浦第二坑採掘を再開する。              人員7,483人
21. 3. 1 大之浦に従業員養成所を復活し、修業年限一ヵ年の機械、電気科を設置。
5月10日付を以って、貝島技能者養成所と改称す。
21. 4.   実物教育場を先山講習会と改称し、第八坑に設置する。
21. 5. 22 九州石炭砿業協会を解消し、九州石炭砿業会を設立、貝島太市社長が同会々長に就任した。
21. 7. 1 職員の俸給が倍増となる。
21. 10.   大之浦西五砿において、立体採掘法を本格的に実施する。
21. 12.   先山講習会を砿員技能訓練所と改称し拡充する。