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明治38年4月10日〜明治45年12月
井上芳邦氏作成「貝島炭砿株式会社経営変遷概要」から
年号 | 年 | 月 | 日 | 記 事 | ||||
明治 | 38. | 4. | 10 | 菅牟田第五坑を開鑿、この頃各坑とも納屋制度を改め直轄制度とし納屋頭を坑夫係と改称する。 | ||||
〃 | 39. | 4. | 4 | 菅牟田炭砿で納屋23棟(270戸)を焼失。 各坑に消防組織をつくる、満之浦区域専用の幸の恵井戸完成す。 |
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〃 | 40. | 9. | 30 | 坑名を以下のように改称する。 | ||||
砿 区 |
大之浦砿区 | 菅牟田砿山 第一坑 | 磯光字本田 | |||||
〃 | 第二坑 | 磯光字梅の木 | ||||||
〃 | 第三坑 | 磯光字野入 | ||||||
〃 | 第四坑 | 磯光字榎木 | ||||||
〃 | 第五坑 | 〃 | ||||||
桐 野 砿山 第一坑 | 上大隈字柳坂 | |||||||
〃 | 第二坑 | 上大隈字代の浦 | ||||||
満之浦砿区 | 満之浦砿山 第一坑 | 笠松村字四郎丸 | (7坑) | |||||
〃 | 第二坑 | 笠松村字笹ヶ峠 | (8坑) | |||||
〃 | 第三坑 | 長井鶴字前田 | (6坑) | |||||
〃 | 40. | 11. | 12 | 満之浦砿区を大之浦砿区に統合、3,460,060坪となる。 | ||||
〃 | 42.7〜T.2 | 第六坑(当時満之浦第三坑)を長井鶴前田に開鑿。 大正 2年竣工。 大正12年12月30日、人車運転開始。 |
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〃 | 42. | 11. | 24 | 明治42年1月18日、第二坑(当時桐野第二坑)全坑がガス爆発、殉職者259名を出す。 明治43年1月18日全員の収容を終り、明治43年11月24日招魂碑を建立す。 |
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〃 | 42. | 11. | 桐野発電所(明治40年8月起工、同年11月20日落成、明治41年1月使用許可、60サイクル・2,300V)より満之浦に送電を開始する。 | |||||
太蔵東区日の出橋付近にあった旧桐野発電所 S28大出水写真集から 澤田憲孝氏提供 |
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〃 | 42. | 12. | 1 | 貝島砿業合名会社を貝島砿業株式会社に改称する。 資本金 250万円 | ||||
〃 | 43. | 2. | 21 | 賃金の支払を採炭切符制より、通帳制に変更する。 | ||||
〃 | 43. | 2. | 貝島砿山病院を本院に置き、菅牟田、満之浦、大辻及び大辻四坑に分室を設ける。 | |||||
貝島病院(昭和30年頃 宮田光陵中学校の下にあり) 写真:「貝島炭礦の想い出」から |
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〃 | 43. | 8. | 10 | 賃金の支払は、すべて通貨を使用する。 | ||||
〃 | 44. | 10. | 1 | 菅牟田第三坑南北両立坑開鑿のため、地鎮祭を執行し、大正4年2月に両立坑が完成する。径16尺(≒4.8m)、深さ780尺(≒236m)。 ※1尺≒0.303m | ||||
〃 | 45. | 12. | 大之浦、大辻両砿に24時間制の幼児保育所を設置する。 |