犬鳴川関係年表

犬鳴川関係年表

目     次

○ はじめに
○ 筆者のコメント・文献等
○ 犬鳴川関係年表
○ 犬鳴川関係年表考察



 ○ はじめに      
  この郷土(宮田町)は、犬鳴川流域のもとで歴史をつくり、その犬鳴川のお陰でこうして豊穣なるまちがつくられているとも言えましょう。
 そこで、かねてより本HPにおいてもその我が郷土を見つめ直して理解を深め、さらにこれからのまちづくりに進むためのエネルギーをもらいたいと思っていました。
 また、本HP上において、この21世紀に羽ばたこうとする子どもたちのためにも、犬鳴川に関する素材なり、興味・関心いだく資料を提供できないかと苦心してきたところです(犬鳴川物語1(犬鳴川はどう流れていたか・百間土手))(犬鳴川物語2(犬鳴川変遷史考))が、町民の人々の中にその歴史を長く極めてきた郷土の歴史家がいらっしゃいました。その方の了解を得て、ここに「犬鳴川物語2」に引き続いて掲載することができました。
 筆者は、さらに研究を深めようとしてあります。このHPをご覧なった方々、どうか筆者エールをおくってください。資料などもご提供頂ければこの上ない喜びでしょう。
                                   (本HP作成者)
 
 犬鳴川河川公園   












 ○ 筆者(澤田憲孝氏)のコメント
 この年表は犬鳴川流域の河川やそれ等に関係する可能な限りの事項を羅列したものです。この年表をもとに、犬鳴川流域の河川管理・農業水利等を通して、農業等の産業の理解、その上に立って犬鳴川流域の経済・文化理解を深め、将来の犬鳴川流域の有り方の検討の基礎資料とするものです。(温故知新)完全なかたちにする事はほぼ不可能です。現時点で可能な限りの年表を提示し、皆様からの修正・加筆等の示唆をいただき、少しづつ正確な年表に近付けようとする考えです。
 なお繰り返す災害飢饉等については代表的なもののみ記しています。
 問題点やご質問などが有りましたら、下に記していますように直に澤田又は電話Faxでご連絡ください。


  (1)筆者紹介・・・・・・・・・・

     澤田憲孝 〒823ー0013 宮田町芹田146ー1
          自宅 電話Fax 共用 0949ー32ー8470
          職場 電話  0949ー22ー1633
                 (勤務先 鞍手農業高校 平成16年3月まで)
                 Fax 0949ー22ー1632

 
 (2)参考書籍及び引用書籍
(順不同) ‥・・・・・ 
         ※ 番号は、下の歴史年表内の参考文献に対応しています。

1香井田村併合記念誌(昭和3年5月初版発行)。
2宮田町誌(昭和53年4月初版初行)。
3角川日本地名辞典・40福岡県(昭和63年3月初版発行)。
4 鞍手郡誌(昭和47年6月初版発行)。
5北九州(昭和63年3月初版発行)。
6遠賀川流域史探訪(昭和43年2月初版発行)。
7福岡県地名考(2000年11月初版発行)。
8鞍手郡直方町是(明治41年)。
9遠賀川ものがたり(平成7年10月)。
10新編・日本史図表(2001年1月改訂8版)。
11昭和28年災害誌(昭和29年)。
12遠賀川(平成2年10月)。
13若宮町井堰(平成12年)。
14筑前国金生封についてー平安時代における(論文 正木喜三郎)。
15西日本豪雨水害写真集・福岡県(昭和28年7月)。
16国土地理院地図・太宰府(明治33年)。
17国土地理院地図・直方(昭和17年)。
18鞍手郡郷土史(昭和40年3月初版)。
19北・九州(昭和43年11月初版)。
20犬鳴川治水ダム関係文化財調査報告・犬鳴TーV・第1ー3集(1990年)。
21宮田町堤調査(平成10年度)。
22若宮町堤調査(平成10年度)。
23筑豊石炭鉱業史年表(昭和48年11月初版発行)。
24昭和28年水害被災文集。
25筑前国慶長絵図(直方図書館より)。
26福岡県の歴史散歩(1978年1月初版発行)。
27石炭史話(昭和45年1月初版発行)。
28筑豊讃歌(昭和52年5月初版発行)。
29筑豊(昭和48年12月初版発行)。
30日本の水害(昭和29年9月初版発行)。
31遠賀川河川史(昭和63年3月)。
32福岡県地理全誌三(平成元年7月・影印復刻版)。
                       
                        
                     参考:平成15年3月16日 第4回提示分を掲載



犬鳴川関係年表


年表の簡略表示説明

○洪水:
○旱魃:
○イナゴ:
○虫害:
○大風:
○飢饉:
○長雨:長雨

 以上、1,2,3と数字が大きいほど被害大

○井堰の地名のないもの:若宮町
○福岡県地理全誌:県全誌

  (井堰はほとんどが改造年月日)
※次回提示は若宮町誌発行後の予定
                   
  西 暦   日本歴    犬  鳴  川  関  係         備     考
    先史時代              犬鳴川流域の地質三郡変成岩3、5億年頃前。 石炭4000万〜5000万年前 古遠賀湾(標高10m以下)海入江沼等 中上流域:氾濫源の土砂が谷底平野形成 台地・段丘の赤い土で覆われ砂礫混じりの土は氾濫源の川砂利 
三郡山山系・犬鳴西山山系(三郡変成岩)地質悪く日雨量250ミリ以上で平方キロメートル当たり30、000?の土石流発生の恐れがある 犬鳴川流域の河川には砂防ダム、流路工、床固工等が多い 犬鳴川上流砂防指定地 
  BC
 5000
  縄文時代            
  BC
 300   
  弥生時代            小金原・原田⇒石斧、石剣等   立屋敷遺蹟(遠賀式遺蹟)  地名考(浦、沼、岬、崎、井、島、原)
  AD
 200   
  古墳時代          竹原古墳(若宮)−古墳流域にきわめて多い 
  500初期       金生郷、十市郷、生見、金生等          
   645   飛鳥時代        
   708      奈良時代    条理制−口の坪、二の坪、六反坪、      
   750   天平勝宝     行基−清水寺 
   782   平安時代        
   800                流域に山岳仏教拡がる 
   803 旱3−803,806、841年 914宗像清氏・筑前の守
   922   延喜22     普光王寺創建
   930         延長8粥田(倭名類 )倭名  和名
   949   天暦3     日吉山王(若宮)創建
        年貢米等遠賀川・犬鳴川で輸送    
  1101         長保2年香井田十郎並緒稲築城
  1174   承安4     鎮西禅師極楽寺創建(香井田誌)
  1185   鎌倉時代        
  1186   文治2     若宮八幡宮創建
  1190         香井田→杉、祇園岳に築城
  1293   永仁元年     龍得郷(地名辞典)
  1308     天照宮創建    
  1312         剣神社勧請
  1334            南北朝                      小弐
大内               1   
  西 暦   日本歴   犬 鳴 川 関 係 史       備     考
  1390   室町時代        
  1394   応永1       文安4、杉−大内より派遣される   天真和尚瑞石禅寺創建
  1448         杉−龍ケ岳に築城
  1478         香月で石炭発見
  1511   永正8     松井修修草場城代となる 
  1542              天文11            大友鞍手侵攻 (名前の出てくる氏−井上、古野、石川、森、奥、安武、安永、篠崎、藤、毛利、黒瀬、松井、斎藤、八田、本田、斎藤、吉田、毛利、安部、滝口、塩川、矢野、峰、 林、金子、坂垣、吉野、金野、大村、源、中村、太田、安河内、藤島、神屋)(鞍手郡郷土史) 1544宗像騒動
天文の頃笠木城築城−占部越前守宗安       
  1575   天正3     秋月種実草場城笠木城攻略
毛利
  1557         永年間(1557〜1572)龍ケ岳の麓栄える 
  1581   天正9     宗像氏貞鞍手支配
  1582          天正10        宗像の臣と立花軍−小金原の戦(名前の出てくる氏ー深川、河野、井原、原、鮎川、古野、河津、有吉、岩見、柏井、江利)  (鞍手郡郷土史)          
  1585   天正13 天正末頃杉氏滅亡(新入村誌)    草場城主松井秀郷宗像に滅ぼされる
  1573          安土桃山時代 この頃も本城−水田、沼地、河川の蛇行、遊水池等で広漠たる荒漠の地なり             (香井田誌) 龍徳村(地名辞典)  1587豊臣秀吉九州遠征       
  1600 江戸時代    洪3・風3、115人・郡 黒田入国
関が原の戦い
  1601   慶長6 黒田長政犬鳴山見聞(鞍手郡若宮記)
  1604 飢饉
  1612        慶長17〜寛永5(1617) 御牧川(遠賀川)改修大普請             
  1612   慶長17 御牧川(遠賀川) 改修大普請〜寛永5(1617)
虫害病災ニテ郡中死者450(郡誌)
筑前国図(県史第二編)在り。   
虫3
  1612          慶長〜寛永5(1617)    慶長時代より遠賀川築堤工事始まる(宮田町誌)      現在の遠賀川の名称『直方川』(筑前国続風土記)
 
  1613 洪2
                    慶長〜寛文                本城の耕地整理−犬鳴川の流路変更(北の位置より南の現在の所に移動させる(宮田町誌)
犬鳴−筑前の納戸と呼ばれる
山奉行−森林伐採、炭焼、船材伐採等の管理にあたる 
高畠御倉所(現在の板深下流で年貢米等を舟で積み出した所)                 
  1615          慶長         慶長(1596〜1615)徳丸堤築造   、百間土手築造 (宮田)
※百間土手:本城・龍徳・鶴田地区を水害から守るため築造−宮崎安貞指導
慶長年間緑山三人入植開村(風土記)
犬鳴山に諸木を植える(鞍手郡若宮記) 
犬鳴焼、千石焼(慶長〜元和)
久原越の道を開く(鞍手郡若宮記)
直方築城
1619   元和3 旱2
1620   元和6 洪2
1624   寛永1 旱3・風3・洪3
1626   寛永3 旱3・飢
1627   寛永4 洪2
1628   寛永5 洪3・飢3
1630   寛永7 洪2
1633   寛永10 大洪水大飢饉 旱3・飢3 筑前国図(県史第六編)在り
1635   寛永12 風2
1638   寛永15 冷害
1641   寛永18 風2・洪1
1647   正保4 洪2
1648   慶安1 風1
1649   慶安2 風1
1655   明暦1 旱3
  1628        寛永5      大洪水大飢饉             
  1656   明歴2 金丸導水路工事中断(河川史)        
風3
  1656   明歴2 花の木堰(灌漑面積1100ha)(河川史)    
  1659   満治2 サゴノウラ堤(宮田・県全誌)      
 飢3
      満治年不明 沼元堤(宮田・県全誌)    
1662   寛文2 風2・地震
  1663   寛文3    洪2 小野牟田池(直方市)
  1668          寛文8        井尻堤(宮田・県全誌)  (若宮の堤−一部修繕等により同一名称あり、又堤か池か不明有り、字判読不可能あり) ヒンド(急増の堰) 
ネコ掛け(遠賀川)         
  寛文10   蝗2、洪1
  1673        寛文12     生子神社移転(本城の耕地整理等に伴うもの)(町誌) 
寛文年間大洪水                
       
洪2
  西 暦   日 本 歴   犬  鳴  川  関  係  史        備     考
  1673      延宝元年    埴安養水溝普請 完成1819文政2(町誌)      
1674   延宝2 (町誌)洪2・飢2
1675   延宝3   飢1
1676   延宝4 洪1
1678   延応6 洪1
  1680   延宝8  宇佐宮溜池(若宮・県全誌)   洪2    
1681   天和1 旱2
  1688   元禄1 筑前国風土記出筆始まるー元禄16終了
犬鳴川の呼称。若宮川・吉川川・大賀畑川(八木山川)ー宮田川ー植木川ー小屋瀬川(左に同じ) この頃遠賀川、上流より桑野川(嘉麻川)ー直方川ー小屋瀬川ー遠賀川(芦屋川)と呼ばれる(筑前国続風土記)筑前国図(県史第八編)在り。
1691   元禄4 旱2
1695   元禄8 洪2
1699   元禄12 風2・旱2・洪2
1701   元禄14   旱1
1702   元禄15 犬鳴川の呼称:若宮川・吉川川・大賀畑川(八木山川)−宮田川−植木川−小屋瀬川(左に同じ) 日原神社勧請(下日吉神社資料)
この頃遠賀川、上流より桑野川(嘉麻川)−直方川−小屋瀬川−遠賀川(芦屋川)と呼ばれる(筑前国続風土記)
風2・洪3・風3
1704   宝永1 洪1
1705   宝永2 洪1
1706   宝永3 洪3
1707   宝永4 風1
1708   宝永5 洪2
1712   正徳2 風2
1715   正徳5 洪3
 1716      享保1    縄手添上池・庄田堤・猪食堤(若宮・県  全誌) 筑前国図(県史第八編)在り。     
洪2
  1717   享保2 徳丸上堤(宮田・町誌)    
  1720   享保5     直方廃藩
  1732   享保17 地組の制度   享保の大飢饉(若宮餓死1193人)
洪3
  1735   享保20 長浦堤・イヤノ谷上堤(宮田・県全誌)    
風1
1737   元文2 旱2
1738   元文3 洪3
  1740   元文5 堀池(若宮・県全誌)    
1743   寛保3 風2・洪1
1744   延亨1 寒気・風2
1747   延亨4 風2・雪2
  1748   寛延1 以下田堤(若宮・県全誌)    
1749   寛延2 風2・洪1
1751   宝暦1 旱2 小牧村木月村水争い
  1752   宝暦2 朝鮮人参栽培(犬鳴谷−藩の厳重管理) 井ノ浦堤(若宮・県全誌)    
  1759   宝暦9 出ノ口堤(若宮・県全誌)    
  1762   宝暦12 赤寺堤(若宮・県全誌) 堀川開通
旱3
  1763        宝暦13      洪水で犬鳴川−鶴田より南良津に流れていたのが新入に流れの方向変わる(流路変更・直方市誌・新入誌)        
虫1・風1・洪2
  1766   明和3 蝗1・旱1
  1767   明和4 大格子堤(若宮・県全誌)    
洪3
1768   明和5 洪2・旱2
  1769      明和6    捨て子禁止令、そう利田堤・縄手添下池   (若宮・県全誌)      
1770   明和7 飢2
  1771   明和8 鷺山上堤・谷ノ前(若宮・県全誌)    
  1772    明和9  柿木谷下池(若宮・県全誌)
板深堤・野峠堤(宮田・県全誌)
岡森堰竣工(直方市誌)   
洪2
1773   安永2 洪2
1775   安永4 洪2
1776   安永5 洪3
1777   安永6 風2・旱2
1778   安永7 風2・洪2
1779   安永8 旱2・洪1
1780   安永9 旱2・洪2
  1782   天明2 山神堤(若宮・県全誌)    
風2・洪2
  1783   天明3〜      天明の大飢饉
1784   天明4 浄光庵堤(若宮・県全誌) 犬鳴山中炭焼き8箇所1万3千俵
洪3
1785   天明5 旱2・寒3
1784   天明6 寒2・虫2    
1787   天明7 長雨2
1788   天明8 寒2・洪1
1790   寛政2 勝負坂堤(若宮・県全誌)    
洪3
1791   寛政3 長雨2・洪3
1792   寛政4 洪2・虫2
1793   寛政5 長雨2
1794   寛政6 旱2
1795   寛政7 蝗2・虫2
1796   寛政8 寒2・洪2
1797   寛政9 洪3
  1799   寛政11 内野堤(宮田・町誌)    
旱2
1801   享和1 旱2
1802   享和2 洪3
1803   享和3 長雨2
1804   文化1 風2・洪3
1805   文化2 洪3
1807   文化4 百間土手普請割当−下大隈60人他鞍手各村
洪1
1808   文化5 大雪2
  1809      文化6    七段坪堤・杉谷堤(宮田・県全誌)
相手無堤(宮田・町誌)
1812文化9伊能忠敬小屋瀬ー内野測量  
1811   文化8 洪1
  1812   文化9 鞍手郡百姓一揆    
洪2
  1814   文化11    風2・洪3 直方水害死者358(直方市誌)
  1815      文化12    山野持堤(宮田・町誌)
地組制度(土地割替制度)
     
1816   文化13 洪1
1818   文政1 蝗2
1819   文政2 蝗1
1821   文政4 洪2
  1824   文政7 大地ガ浦堤・(若宮・県全誌)    
洪1
 1825      文政8    小原堤・七段坪堤(宮田・県全誌)
清水谷堤(宮田・県全誌)文政年不明
     
1828   文政11 風3・洪2
1830   天保1 洪1
  1831   天保2 本城宮田土手破損等大水害    
洪2
  1833   天保4 天保の大飢饉、郡内も大飢饉  天保の大飢饉
寒2
1834   天保5 長雨2・旱2
  1835          天保6        立田堤(若宮・県全誌)
竹原地組始まる(鞍手郡誌上776)
この頃現犬鳴川の名称−若宮川(県全誌よりの推定)
         
洪2・寒気2
1836   天保7 洪2
1840   天保9  長雨2・洪2
  1839        天保10      犬鳴谷人口143人(郡誌)                            
 
  西 暦   日 本 歴   犬 鳴 川 関 係 史       備     考
  1840      天保11    洪水大川土手破損121箇所、山崩れ3673箇所 1841武谷元立解剖、1846種痘    
洪3
  1842      天保13    犬鳴川薮切り隔年実施(農民、各村共他農村を受け持つ)
金生地組始まる(鞍手郡誌上776)
堀川通過川ひらた9638艘   
洪2
  天保 この頃現犬鳴川の名称ー若宮川(県全誌よりの推定)
1844   天保15 フウガシ谷堤(宮田・県全誌)    
洪2
1845   弘化2 鷺山上池・観音堂堤(若宮・県全誌)    
風2・洪2
1846   弘化3 風1・洪1
1847   弘化4 洪2
1848   嘉永1 小平堤(若宮・県全誌)    
洪1
  1850      嘉永3    清水崩れ(宮田町誌)?
原堤(若宮・県全誌)
     
風1・洪3
1851   嘉永4 洪1
1852   嘉永5 洪2
  1853        嘉永6      水不足・水騒動
大道堤・小野田堤(宮田県全誌)
光明寺堤・堀田堤・善近堤(若宮・県全誌)
1853縁山銅山開鉱     
旱3・洪3
1854   嘉永7 高尾堤・小平堤(若宮・県全誌)    
洪1
1854   安政1    洪2 日原御用鉄山
1855   安政2 旱2・洪2
1856   安政3 大平堤(若宮・県全誌)    
洪2
1857   安政4 平田堤(若宮・県全誌)    
洪2
1858   安政5 旱2・蝗2
1859   安政6 天入寺堤(若宮・県全誌)    
洪3
1860   安政7 長牟田堤(若宮・県全誌)    
洪3
1861   文久1 柊ノ木堤・笹牟田堤(若宮・県全誌)    
洪1
  1862      文久2    安免谷堤(宮田・県全誌)
長羽山口(若宮・県全誌)
     
洪2
1863 洪2
1864   元治1 谷底堤(宮田町誌)    
  1865        天治2
  年代不明   
頭山土手(伝説)人柱−岩淵八木山川   (宮田町誌) 御別館完成、加藤司書等切腹
筑豊地区の全溜め池の8割、江戸時代までに築造される
石炭−自家燃料用⇒製塩用、汽船用。藩内⇒藩外、外国汽船。
1866   慶応2 洪2
  1867      慶応3    善近堤(若宮・県全誌)
農政家菊地六朔
猪の倉川改修石炭運搬のため(入江六郎)
石炭塩田用30万頓、外国船8万頓、軍事用6万頓     
洪2
  1868   明治1 根頃溜池(若宮) 明治初年 八木山村645人
洪1
1869   明治2 洪1 洪水常習地帯
@野面 A新延 B南良津
  1870   明治3 大越溜池・丸山堤(若宮・県全誌)    
1871   明治4 陸軍測地部測量開始−香井田記念誌地図?
  1869      明治5    大連寺堤・山伏谷堤(宮田・県全誌)
赤ハゲ堤(宮田・県全誌)
川ひらた庄屋廃止、石炭積出自由化
     
  1873          明治6        山伏谷堤(県全誌)、鞍手郡百姓一揆
船舶数50(県全誌)、牛734頭、馬196頭。堤160箇所       
現在の遠賀川の名称『木屋瀬川』(福岡県地理全史誌)
石炭仕組制度廃止
 1878   明治10 田畑の70%は20%の農家が占有(大地主生まれる町誌258四郎丸)

○川ひらた積出場等(宮田−芦屋間5−15日で往復)

四郎丸:万之浦、山下
芹田:深カ町、掛樋尻高畑、石井手
宮田村:前隈、羅漢、汐井場、杉谷、天照宮前

倉久川、有木川、犬鳴川−植木で積み替え−若松へ

鶴田7隻、磯光2、上大隈1、宮田8、長井鶴2、四郎丸18、龍徳5、本城2、芹田1、上有木1、下有木2、倉久1(町誌・県全誌)以上隻数 
1882   明治15 洪1
 1883   明治16 牛27:馬3、湿田多い為(長井鶴牛馬
取調)
1884   明治17 風2・洪2
  1885    明治18 筑豊石炭工業組合設立−生産輸送販売(川ひらたも)組織化
貝島炭鉱設立(町誌)
1887   明治20 石炭船舶用24万頓、製塩40万頓、工場12万頓、輸出用70万頓、鉄道0.6万頓(以上町誌)
  1888      明治21    小作化・大規模地主化進行(町誌)
阿弥陀ケ池溜池(若宮)   
水害堤防決壊2286箇所
 
  1889            明治22          遠賀川の名称使用されだす
この頃現在 の犬鳴川は若宮川と呼ばれていた(天神橋上流の鉄道橋の名−若宮川鉄道橋)     
若松〜直方鉄道開通
明治23百合野道施工          陸軍測地部地図?           
洪3
 
  西 暦   日 本 歴   犬 鳴 川 関 係 史       備     考
  1891   明治25 洪3 6月洪水直方水位10mを超す(河川史)
1893   明治26 虫2・風2・洪2・旱魃 遠賀郡水争い
  1894   明治27     日清戦争−1895 
  1895   明治28 神野溜池(若宮) 島門村是よりー鰻695貫、鯉270貫、 鮒541貫、ナマズ317貫(遠賀)   
風1・洪1
  1897   明治30 野峠溜池(若宮)  
洪1
1900   明治33 洪2
 1901   明治34 洪2 陸軍測地部地図有り
八幡製鉄所稼働
遠賀川取水問題
  1902   明治35 勝野〜磯光間鉄道開通
長楽寺溜池鉱害で貯水不能
鞍手農業設立決まる
  1904   明治37     日露戦争−1905
   1905      明治38    大洪水(炭鉱の被害全体の半分となる)
川ひらた年間125艘沈没   
遠賀川流域日雨量332o遠賀川流域日  降雨2番目
洪3
  1906   明治39 第一期遠賀川改修工事(炭鉱を水害から守るのが第一目的 内務省大阪土木出張所遠賀川補修事務所  飯塚開所
  1907   明治40 この頃八木山川犬鳴川合流点改修工事 炭鉱鉱害問題となりだす
  1908   明治41 牛谷下溜池(若宮)    
  1910   明治43 野田原溜池(若宮)  
   1911      明治44          内務省下関土木出張所遠賀川改修務工区事務所に変更
  1912   大正1 藤ケ崎溜池(若宮) 八幡製鉄水利権授与22m3/秒
遠賀川工事1916年終了、山鹿地区120戸移転(芦屋町誌) 
  1913   大正2 大谷溜池(若宮)    
 1914   大正3 五反田溜池(宮田)
鞍手軌道福丸ー龍徳間開通     
大之浦炭鉱事故365人死亡 
(飯塚市旧嘉穂高校上流遠賀川法線計画を住友忠隈の要請で計画変更を住民に無断で行う)
 1915   大正4  鞍手軌道福丸ー直方間開通
倉久川鉱害
 1916   大正5 磯光鶴田水利権問題片付かず(町誌下) 遠賀川事務所閉鎖県に移管 
  1917      大正6      埴生の渡し水難死9名
 1921   大正10 犬鳴川名称若宮川でなく犬鳴川(町誌下) 乗り合いバス宮田若宮に登場
 1923   大正13 耕地整理ー二毛作可能となる、宮田村15町残52町
宮田村役場現在位置に移転(町誌下)
宮田村、町となる。
 1924   大正14 古河水利権授与0、141m3/秒
 1927   昭和2 弓田溜池鉱害陥落(町誌)
ぜんざい川・香井田村宮田町に併合
  1928   昭和3 岡田新溜池(若宮) 堤干  
 1929   昭和4 水田鉱害318町、溜池鉱害24箇所 水路被害23、400間
 1930   昭和5 笠松鉱毒水被害
 1931   昭和6 釜底溜池(若宮)    
 1932   昭和7 前隈溜池鉱害で減水
 1934   昭和9 宮田町小作率63%、笠松村56%(町誌) 遠賀川河川魚夫組合結成
嘉穂・鞍手・遠賀三郡日鉄二瀬等炭鉱に鉱毒水被害交渉。
旱3
  1935            昭和10          小柳井堰(宮田有木川)  興農溜池(若宮)大谷溜池(若宮) 竜王ケ池(若宮)
遠賀川流域日間雨量311o−3番目の降雨記録
田畑等への鉱害目立ち出す、年間6pの沈下   
1936   昭和11 本村第一井堰219・五反田井堰220・松尾井堰221
  1937            昭和12          平田井堰(8宮田倉久川)京野井堰(9宮田倉久川)         ◎井堰は改修又は築造年月日(平安時代頃から存在、築造年月日不明が多い。改修年次等不明は記載してない 灌漑面積・集水面積・取水量・水利件等の内容は別紙参照 
  1938      昭和13    鞍手軌道廃止    舟運無くなる(1000年頃からの舟運無くなる、五平太無くなる
1939   昭和14 旱3
  1940   昭和15     出炭量最高の2000万トン
  1941   昭和16 遠賀川流域日間雨量364ミリ−1番目の降雨記録 田川5日間で864oの降雨   
  1942      昭和17    天神下井堰(宮田犬鳴川)下河原井堰(  (宮田犬鳴川) 第二次世界大戦宮田戦没者745名  若宮戦没者516名
  1944   昭和19     福智山ダム崩壊
  1945   昭和20 第二期遠賀川改修工事 最大3、3mの鉱害による堤防沈下あり
  1947        昭和22      小性町井堰(宮田八木山川)      内務省下関土木出張所遠賀川補習区事務所開所
建設省九州建設局遠賀川工事事務所に名称変更、直方に移転
  1949                昭和24              トントン井堰(宮田八木山川)
ジュデイス台風で斎部警部殉職−
若宮(山口川)平瀬井堰(宮田八木山川)本村井堰187・市瀬井堰(宮田八木山川)大西井堰(宮田八木川)岩淵井堰(宮田八木山川)畑田井堰(宮田八木山川)
犬鳴峠旧道開通(元々軍道として計画)                              
 
 
  西 暦   日 本 歴   犬 鳴 川 関 係 史       備     考
  1950   昭和25 建設省遠賀川宮田出張所開設 筑豊地区水田面積2万ha
  1953                昭和28              西日本大水害、遠賀川流域日間雨量録  311ミリ−6番目の降雨記録  大井手井堰改修(若宮9) 立石井堰改修(若宮10) 道瀬井堰改修(若宮13) 宮の下井堰改修(若宮15) 宮の上井堰改修(若宮16) 瀬戸川井堰改修(若宮19)以上六箇所 犬鳴川
(若宮井堰の殆どの築造年不明、改修年度判明分のみ記載 全井堰数538ケ所)
八木山川漁業権設定
犬鳴開拓3家族5青年入植
宮田村井堰数43箇所、築造改築年月殆ど記載なし               
 1954   昭和29    下口橋(長さ104m,鉄筋コンクリート)        
  1955            昭和30          犬鳴川堤防昭和19年より0、87m低下  日降雨295o−4番目
向ケ原井堰改修(若宮25) 天神井堰改修(若宮26) 芳賀正井堰改修(若宮27)(以上3箇所犬鳴川)
有高井堰(宮田八木山川)
宮田橋(長さ75、4,鉄筋コンクリート)
粥田橋(長さ97、6,鉄筋コンクリート)
宮田町人口51795人
笠松村宮田町合併
  1956   昭和31 金丸井堰(宮田犬鳴川)    
  1957   昭和32 東岩倉井堰128 水洗炭業561箇所黒い川
  1958   昭和33 倉久川水害−炭鉱長屋水没多数 270o 伊田〜日の出橋洪水到達時間3、4時間
 1959   昭和34 千石キャンプ場開設
八反田井堰改修(若宮22犬鳴川)
     
  1960      昭和35    岩坪井堰改修(この頃)(若宮15犬鳴川)    豊州炭鉱水没事故、筑豊地区炭鉱数約230鉱
  1961   昭和36 草場井堰200・前田井堰215  石炭臨時措置法
  1962   昭和35 深町井堰(31宮田有木川)    
  1963   昭和38 丸の内井堰(29宮田上有木川)
糸田橋(長さ102、0,鉄筋コンクリート)
   
 1964   昭和39       新河川法成立
1965        昭和40      力丸ダム完成
 (力丸ダム洪水防御能力360万米÷150米=6時間40分で満水放流開始)
岡森堰対策協議会設立     
  1967      昭和42〜56    毎年の如く築堤護岸樋管等工事行われる       
  1967   昭和42 貴福井堰(23宮田上有木川)    
旱3
1968   昭和43 宮田大橋(長さ53.0、鉄筋コンクリート)
1973   昭和48 田尻井堰311
1974   昭和49  工事実施基本計画改訂
浦の谷8井堰302・浦の谷9井堰303
浦の谷6井堰304・浦の谷5井堰305
浦の谷4井堰306・浦の谷3井堰307
浦の谷2井堰308・小谷口5井堰340
小谷口4井堰341・小谷口3井堰342
小谷口1井堰343・小谷口1井堰344
水口井堰345・天神井堰346
新平井堰348・新井堰351
楠の木第2井堰349・楠の木第1井堰350
大井手井堰352・小場山井堰353
金造井堰354・金造上井堰354
小谷川井堰356・新井堰351
 1975   昭和50 春日橋(長さ46.9、鉄筋コンクリート)
茶の木井堰236
新犬鳴トンネル開通
 1976   昭和51 鶴田橋(長さ100.1、鉄筋コンクリート)
藤原井堰228・五郎ヶ畑4井堰312
五郎ヶ畑2井堰314・五郎ヶ畑1井堰315
宮田の炭鉱すべて閉山
  1977   昭和52 駄祭田橋井堰151・芳ヶ谷井堰270   6月英彦山1時間雨量119o、山口111o 
  1978   昭和53 大渇水 立ち枯れ各地に発生  遠賀川内人口密度640人 ?
  1979   昭和54 又橋井堰150 深谷水溜池(若宮)
小諏訪井堰359
   
  1980   昭和55 大井手井堰227   昭和55遠賀川河口堰完成
 1981   昭和56 天照橋(長さ107.4、鉄筋コンクリート)
 1982   昭和57 本城橋(長さ82.2、鉄筋コンクリート)
  1983   昭和58 稲作井堰164・茶の木井堰238   改築岡森堰竣工
1984   昭和59 鹿子下井堰144・市久保井堰154
 1985   昭和60 消防水利宮田町、河川53・堤29箇所
大浦川井堰131若宮・132・133・134・135大浦川井堰137・大浦川井堰138・大浦川井堰139・烏舞井堰165・大溝143・瀬淵井堰230・白毛井堰231・茶の木井堰237
1986   昭和61 犬鳴ダムのため移転29戸
大浦川井堰130・大浦川井堰141
新堀口井堰142
1988   昭和63 戸石川1井堰499・戸石川2井堰500
戸石川3井堰501・戸石川4井堰502
  1989   平成1 庵谷第二溜池(若宮・新幹線対策)
犬鳴開拓最後の家族若宮に下りる。
三農家通勤農業で犬鳴開拓に通う。
   
  1990   平成2 犬鳴ダム完成(移転29戸)    
 1991   平成3 清水第一溜池(若宮)
乙野着水層(新幹線対策)
9、24台風19号山林被害甚大(将来土石   流・山津波の恐れ?)桜町井堰147二拾四井堰
     
     
 1992   平成4 清水第二溜池・井下田第二溜池(若宮)    
1996   平成7 観音面井堰148
1997   平成8 市久保井堰155・中小路井堰156
 1998   平成10 緑大橋(長さ107.6、鉄筋コンクリート)
 1999        平成11      6水害ー1時間95ミリを越す 
大道堤破堤(若宮、宮田大洪水)   
                     
 2003   平成15   町内の犬鳴川に沿って光ファイバー敷設
 



犬鳴川関係年表 考察

 
                          澤 田 憲 孝

  年表作成中で、完全な考察とはとても言いがたいのですが、2003年平成15年3月第4回提示で考えられる範囲で考察を記したいと思います。
  なおこの年表作成のために各種資料を忙しいなか作成していただいた皆様に心からお礼を申し上げます。
(1) 犬鳴川を含む遠賀川一帯は、奈良時代頃から、米等を中心とする裕福な農業生産地帯であった。それ故荘園時代以降、明治時代まで各種支配者の収奪の地であったと云う事。
明治時代以降、石炭産業で富国強兵策づくりのエネルギーを生む地として、国や大企業等の犠牲になった地であった。
 この事を第一に考えつつ、将来の筑豊地区・犬鳴側流域を考えたいと思います。
(2) 水害・風害・水不足・虫害・長雨等による飢饉の多発。ほとんどは江戸時代以降の記録ではありますが、飢饉の多発です。江戸時代以前の記録があれば同じような飢饉であったと考えられます。食料不足が日本でなくなったのは、昭和30年時代からのことです。
 現在、この地で生活している人々は、この飢饉の多発、飢饉から逃れるための治水・水利事業に命をかけてたたかった農民の努力を忘れてはならないと思います。
(3) 水不足が云われ、都市用水・工業用水の増大が云われるこの時代に、かつて水を守るために必死に努力してきた農民の努力及び農家に属する水利権について、簡単に考えすぎていないだろうか?  水はただではありません。山に植林し、山を管理し、洪水を防ぐべく河川管理を行い、堤を汗水流して、山に植林し、山を管理し、洪水を防ぐべく河川管理を行い、堤を汗水流して築いてきた農民の努力を忘れていないだろうか? 水は百年単位で考えねばならないと思います。
(4) 水を考えるとき、現時点のみで水を考えていないだろうか? 温故知新は、水を考えるときでも、通ずる基本的な思考方法です。まだただで水があると考えていませんか? と問いたいです。
(5) 環境問題の重要性が述べられる現在、農業が環境に果たした役割を、それも歴史的視点抜きに考えていませんか? 
(6) 各種文化、各種産業の基盤は農業である。この農業を支えたのは農業水利です。水です。この事を、皆様に提起したいと思います。
(7) 上領は下流を、下流は上流を考え、お互いに補完すべき視点が抜けていないでしょうか。即ち、上流は下流のために水を残し、水を抜かない。下流は上流の山間地の緑保全の為の努力を忘れていないでしょうか。再検討する必要があります。
(8) この点、江戸時代下流の山田川水利組合に関係する農民が笠置山・犬鳴山・西山・山中に水源保全のため、植林伐採等の大変な作業を遠い所にかかわらず、行っていた努力を忘れてはならないと思います。
(9) 自責の念を含めて述べるならば、教材としてこの年表をもっと早く作成すべきであったと考えます。
(10) 地域的な違いは、上流の若宮と中流の宮田町の間にはあるようです。若宮の自然の豊かさ・井堰の多さ・平坦地の多さに比し、宮田町には笠松地区・本城等の地区を除いてそれほどおおきい平坦地は存在しません。堤で云えば、地形的特性から、若宮の沼口や宮田の菅牟田等の南東部部に沢山あります。
 井堰で云えば、若宮は小川中心の小さい井堰が多く、宮田は笠松地区を除いて犬鳴川中心の大きな井堰で農業用水をまかなっているようです。また宮田の本城地区は、徳丸堤の役割の大きさが目立ちます。
(11) 今までの農業水利は水不足との闘いが中心であったようですが、これからは田畑の一区画面積の拡大・田畑や果樹園等の同時栽培等の関係で、排水に考慮した農業政策も必要のようです。
(12) 田畑面積や森林とその上に成りたつ経済力について、古墳・寺院・各種の地域のお祭り・家の個数や面積については、今後の宿題として残っています。
(13) 多くの山林を持つ若宮の将来性については、長い目で見ていただきたいと思います。
(14) 犬鳴川流域と他の流域の比較分析を行えば、この地域の特性がもっと表面化し、今後のこの地域のあり方が過去に遡り判明するのではないでしょうか?と思います。
(15) 若宮町誌町誌発行による発行による発行による検索、農家の皆さん・農業改良普及員・農協関係者等の皆さんへ等への聞き取り調査、農業関係資料の検索によって今後もっと役立つ年表考察をさぐりたいと思います。
                                  平成15年3月16日





 
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