脇野橋より脇野の集落に入るとほどなくして右手に慧日山(えにちざん)真光寺(浄土真宗本願寺派)が見えてきます。同寺は応永三年(一三九六年)に現在の上有木に慈貰和尚によって開創され、上大隈真光崎から脇野の乙子神社側と移り変わり、明治四十一年現在地に新築移転しました。
真光寺はもともと真言宗でしたが、慶長十一年(一六〇六年)に穂波郡明星寺村(現在飯塚市)出身の朝元和尚(ちょうげんおしょう)の時に現在の浄土真宗本願寺派こ、改宗したと言われています。
太平洋戦争前の梵鐘は、古老の話によると日照りが長く続く干魃(かんばつ)の年に、八木山川の岩淵に沈めて降雨を祈願する習俗を昭和元年まで行っていたと伝えられています。
近くに大正13年に廃校になった脇野小学校の石碑が立っています。