真光寺を後に来た道を少し戻ると、脇野小学校跡に同校の石碑(上写真)が立っていました。それは、松尾様宅近くの畑に赤い花に囲まれていました。
この学校の創立には、宮若市の教育の原点ともいうべき江戸時代にあった私塾や寺子屋の存在が深く関わっています。黒田薄士上野勝従は安政三年(一八五八年)から慶応三年(一八六七年)まで脇野に私塾を開き、その後は門弟の広門徳次郎(千石に逆祠あり)の手によって引き継がれていきました。
こうした流れの中で成立をみた脇野小学校は、大正十三年宮田村にあった宮田校、磯光校、脇野校の三校を合併し、脇野校は廃止され、宮田尋常小学校に吸収されました。
しかし、脇野・千石地区の要望により千石分教場が設置され、昭和七年まで存続したということです。
この他、脇野堂寄(とうげ)では、田川郡添田町英彦山で行われている御田植祭と同じような農耕作業を模擬した五穀豊穣を祈顧する神事が昭和十年頃まで開催されたなど民俗芸能にも見るべきものがあるようです。
このように脇野には、多くの歴史が今なお残っているということです。
ところで、この脇野小学校にかかわる写真・資料等がありませんでしょうか。HP管理者(電話 090-7534-3652 又は 電子メール(fuji321164@yahoo.co.jp)にお知らせください。はせ参じます。
脇野小学校はこの辺りでしょうか。
(脇野交差点から飯塚方面をのぞむ。右手に真光寺の大屋根が見えます。)
石碑の前の畑地
ここに校舎と運動場があったのでしょう。
当時が偲ばれます。
みなさん
とくに宮若市のみなさん,今から80年近く前、宮若市脇野(脇野信号付近)に、脇野小学校があったことをご存じでしょうか。
私・記者も平成13年7月半ばに宮若市郷土史サークルの皆さんから知り得て、直ぐさまその記念碑を探し求めました。