向畑古墳群(むかいのはたこふんぐん)


 老人保健施設「つくも苑」(左)、靡山(なびきやま)方向の約1km先に
向畑古墳群が望めます。(平成14年2月25日撮影)

 昨年11月から3か月ぶりに訪れてみました。
県道から見て外観はほとんど変わっていないようでしたが、あがって右の方に回ると・・・・。(左下へ)
 
 町役場の担当の方が石室の静かになにやら作業をしています。
 画板上の大きなグラフ状用紙に一つ一つの石などを模写してあるのです。根気のいる仕事でしょう。
 しばらく遠慮して私は見ていましたが、お断りをして中に入ってみました。




 意外と中は明るいです。お二人がまだ地面を削って発掘作業を続けていました。
 ここは下図の玄室に当たります。遺体が納めてあった部屋ですね。高さ2.5mほどで広さは3畳ほどもあるでしょうか。頭の向きはこちらだったのかなと想像しながら見回しますと、その石組みの凄さに圧倒されました。
 上写真の光は電灯です。天井部分に当たります。
 ここはお墓に当たりますので、思わず“合掌”、手を合わせました。


発掘された横穴式古墳



 3か月前とはちがって、ぐっと口を開けていました。上写真がそうです。なお、その下の黒は、道具です。
 さあその二つ目の入り口を覗いてみました。
 外では、エンジン発電機でしょうか。大きな音が響いています。
(右上へ)
 発掘されていた方が私に「これは人骨のごとある」といってブラシなどで軽くさぐっていかれますとそこには白い人骨状のものが現れてきました。
厳粛な気持ちになりました。
まだ発掘はつづいているのですね。
 さてこのあとどんなものが掘り出されるでしょうか。ロマンを感じますね。



  次に当古墳群の発掘作業の終了が近づいてきましたので、地元の人々に対して、
本町教育委員会から現地説明会がありました。
そこで、当局に了解を得て、その資料を紐解いて見ました。
身近にこれほどの素晴らしい資料があったのですね。
子どもたちにも紹介したいものです。

 向畑古墳群現地説明会資料から 
           2002.2.16 旧宮田町教育委員会提供
(参  考)

○場所 
   宮若市上有大字向畑に所在

○時代
   古墳時代後期 6世紀中頃〜後半

○発掘調査に至る経過
   倉庫用地造成に伴う緊急発掘調査

○発掘調査主体
   旧宮田町教育委員会


1 はじめに
 向畑古墳群は、有木川流域右岸の靡山山麓に延びた丘陵、標高50mに位置しています。
 今回、倉庫用地の造成が計画されたことにより、旧宮田町教育委員会が発掘調査を実施することになりました。

2 古墳時代について
 ●古墳時代はいつからいつまでか
 弥生時代が終わった3世紀(西暦200年代後半)頃から7世紀(600年代)頃まで
 ●古墳の形
 古墳の形には、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳など様々な形があります。

3 笠松地区の古墳について

 @有木川流域左岸
 権現山(ごんげんやま)・尾上山から派生した有木丘陵の西側に位置する下有木地区に
笠松地区の古墳群マップクッリクで拡大できます。 
は霊験寺の裏手に中有木中ノ浦古墳を初め、かつての南ヶ浦池東に南ヶ浦古墳群が存在した。
 一方、南の旭ヶ丘町営住宅から山王神社周辺にかけては、下有木北古墳群・下有木古墳群・山王神社古墳群とあり、九州縦貫道を挟んだ丘陵の北西斜面には平原古墳群が位置する。

 A有木川流域右岸
 有木川流域右岸の古墳は、靡山山麓に延びるいくつかの丘陵の上あるいは先端部近くに位置し、最も古墳が存在するのは、東方向に延びた上有木の向畑丘陵である。
 向畑丘陵には現在58基の円墳が残る群集墳百塚古墳群があり、南東に延びた支群上には四ッ塚古墳群が存在する。また四ッ塚古墳群の南西200mの上有木字神田には、かつて神田古墳群が存在したが現在は消滅している。
 有木川流域右岸には、この外にも坂元古墳群、桶田古墳が存在したが、坂元古墳群は今日みられない。

 B倉久川流域
 有木丘陵と白山丘陵に挟まれた倉久川流域は南北に狭長な容を形成し、この間を縫うようにして倉久川が南に流れている。倉久川流域には、西の春田に松ヶ元古墳群、下春田古墳群が存在し、谷を挟んだ丘陵上には釜底古墳がある。
 一方、対岸の字宮崎には春日神社裏古墳が存在する。

☆向畑古墳群は?
 時代は出土した達物(土器など)から6世紀中頃〜後半と推測されます。古墳の形は円墳で、墳丘がよく残っています。石室は死者を安置する奥の玄室(げんしつ)とその前の前室(ぜんしつ)という小さな部屋と出入り口の羨道(せんどう)がある複室の横穴式石室です。

4 出土遺物について
 ○土器(土師器・須恵器)
  種類
   杯(つき)・壷(つぼ)・甕(かめ)・平瓶(ひらべ)・提瓶(さげべ)
  ◇土師器(はじき)…800℃前後で焼かれた赤っぽい素焼きの土器
  ◇須恵器…1100℃前後の登り窯で焼かれた灰色の土器

 ○鉄器(鉄製品)
  ◇銑鏃(てつぞく)・・・鉄でできたやじり
  ◇鉄刀

 ○装飾品
  ◇玉・切子玉…ガラスや土でできています。
  ◇耳環(じかん)…銅の素地に金を張ったイヤリングです。

 ○人骨
    向畑古墳1号墳から人骨の中でも最もわかりやすい
   頭蓋骨や歯が出土しました。年齢や性別など詳しいこと
   については、まだ分かっていません。


   
上左:前方後円墳
上右:円墳
下左:方墳
下右:横穴墳



壺(つぼ)


杯身(つきみ)


杯蓋(つきふた)


提瓶(さげべ)


平瓶(ひらべ)







 発掘開始 平成13年11月ごろ  平成15年9月14日現在
(右方向が九州自動車道若宮インター)
 向畑古墳群は左から、右のようになりました。ほぼ同じ位置・方向から撮影しています。
 本HPは、半永久的に向畑古墳群の記録を残していきたい所存です。それはこのHPの記録は、向畑古墳群の形を変えた「遺跡」であると考えるからです。     本HP担当者



平成18年、宮若市「なびきホール」に一部展示されました。



発掘された古墳の写真及び出土
した土器などの展示コーナー

棚の右に当発掘記録集が
置かれています。


土器「平瓶(ひらべ)」






初期の発掘作業 平成13年11月
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