綾町視察からマナブ

(綾町視察からマナブ)


 犬鳴川みどりの会
は、昨年に引き続き、平成14年5月11日〜12日にかけて、「地域づくり先進地視察」を実施しました。
 今回は、照葉樹林を中心とした天然林を財産にして、「まちづくり」を進め、今では、国際化への道を求め世界に向かって発信している宮崎県綾町を視察しました。
 参加人数は、22名。同行した一人として、私の目で、ここに簡単に綴ってみました。

                                          A.F 








 町は宮崎県のほぼ中央部、宮崎市から西北20kmに位置しています。 東部に広がる宮崎平野と背後の九州中央山地の接点にあって、大淀川の支流 綾北川と綾南川が町を貫流し、周辺の豊かな緑とともに素晴らしい渓谷美を形成しています。総面積の80%が森林で農地は9%。全国一の規模を誇る照葉樹林を中心とした広葉樹の天然林は、森林面積の30%を占め、多種多様の植生が繁茂し、野鳥や 獣類等の野生動物の宝庫です。

 
 上記のように、綾町役場ホームページに紹介してありました。さあ、それらを頭に入れて、町を視察しました。



 中世は武士の時代、日向の国は伊東、島津、土持の三氏による争いが続きました。 綾の郷も例外ではなく、南北朝の頃には日向の地頭伊東氏の勢力下にありました。
 その後天正5年、伊東氏が島津氏との決戦に敗れ豊後に落ちてより、島津氏の支配下となり、元和元年江戸幕府の一国一城制度により、綾城が廃止となるまでの270余年、綾城は日向の国の山城のまもりとして重要な位置にあり、島津、伊東の一戦では最後まだ伊東を見捨てず、武士の道に生きたのは綾郷の人たちであったといわれています。
 その綾城は、構築について日本城郭教会に中世山城の築城について考察を依頼し、数次の調査に基づいた考察により想定されたもので、昭和60年春、日本ではじめての戦国初期城楼が建築されました。
 その城楼は、地元の木工建築士延べ1,500人により建築されたそうです。
 


綾城

 その城楼から、町のスポー施設の一端を見ることができました。右写真で、アンツーカーの陸上競技場が眺められます。


綾城からの眺め



 綾町には照葉樹林の自然林が広大な面積で残っています。この森林の中で 1,748haは日本最大規模といわれるカシ・シイ・タブ・クス・ヤブツバキ・サカキなどの高低木からなる照葉樹(常緑広葉樹)が群生しています。この一帯が昭和57年5月に九州中央山地国定公園(綾地区)に指定されています。この照葉樹林帯は、平成元年緑の国勢調査(環境庁)で1ヶ所の面積では日本一といわれそこからの湧水は、日本の名水百選の指定をうけています。(綾町役場ホームページから)


  

綾町の表彰の一部紹介

綾町は、実に多くの表彰を受けています。綾町の素晴らしい取組の一端を見るのに良い資料と考え、
その一部をあげてみました。


綾の水

  • 水源の森百選 (7.8.4) 林野庁長官
  • 「水の郷」認定 (7.3.22)国土庁長官
  • 日本の名水百選 [綾町湧水郡] (60.7.22)環境庁水質保全局長

綾の森林

  • 朝日森林文化賞(5.6.30) 朝日新聞社、(財)森林文化協会
  • 森林浴の森百選 [綾渓谷の照葉樹林](61.4.19) 緑の文明学会
  • 日本の自然百選[九州中央山地国定公園](58.1.1)朝日新聞社、森林文化協会

綾の町づくり

  • 地域づくり顕彰大賞  (第1回 8.5.1) 宮崎県知事
  • 花のまちづくりコンクール最優秀賞  (第2回 4.11.3)農林水産大臣
  • 全国花いっぱいコンクール最優秀賞  (3.11.25)毎日新聞社、花いっぱい協会
  • アメニティあふれる町づくり  (3.10.23) 環境庁長官
  • ふるさとづくり大賞  (3.3.3)内閣総理大臣
  • 緑化推進  (元.7.11) 内閣総理大臣
  • 潤いのある町づくり  (62.12.1) 自治大臣

 
市街の中心地・役場横の名水の池、「手づくり郷土賞」の碑が輝いています。

 
九州一の花時計、右手には、広大な馬事公苑があります。




 昭和42年に国有林の伐採と土地交換の計画を町民90%の反対署名を集め、伐採を中止させて残ったのが、現在、東洋一と言われる照葉樹林です。
 この照葉樹林が、昭和57年九州中央山地国定公園綾地区に指定され、昭和59年に森を流れる綾南川の渓谷に「照葉大吊橋」を架けました。 長さ250m、高さ142mの吊橋は、歩いて渡るものとしては世界最大級で、森のシンボルとして散策に訪れる人の格好のポイントとなっています。



世界一の照葉大吊橋

下からの眺め

照葉大吊橋 
高さ142m、こわごわと渡っています。



 照葉大吊橋をこわごわわたりました。それはそれはスリリングでした。町市街地からかなり離れたところにありますが、なぜこうした橋が造られてのでしょう。その理由は調べていません。
 しかし、この橋が生きているのです。綾町の自然を満喫させるのに、活かされているのです。
 その意味を探るため、橋を渡り、そのまま、下の吊り橋まで約1q、下りてみることにしました。

   
 
 橋を渡って、下ってまもなく、「遊歩道」の表示があります。図でカシ・シイ・タブ・クス・ヤブツバキ・サカキなどの高低木からなる照葉樹(常緑広葉樹)が群生紹介してありました。さあわくわくです。一気に下ってみましょう。

 瀧が方々にあります。うっそうとして広葉樹林の中に、突如として表れるのです。
 遊歩道の階段の真ん中に茶色の異様な生き物がいます。体長15pほど、カメラを向けても全く動きません。どうどうとしています。数十年ぶりに出会いました。福岡県筑豊で「ガマがえる」いう蛙です。ほんとに嬉しくなりました。

 
その答えは、大自然と人間が共有するためであろうととらえました。
 人間がその自然に浸らせていただき、そして、大自然を人間が守るのです。

 <余韻・・・・>

 綾町は、大自然の恵みの中で生活文化を楽しみ心豊かに暮らしのできる町として、自然の美、人情の美、食糧の美を持ち合わせた地域としたカラーづくり・町づくりを徹底して進めていることが分かります。人口は7400人ほどですが、ここ10年来増えているとか。
 町が一丸となって、観光を中心として生きる町、自然の美しさが、人情の美しさ、食べ物の美味しさ、町の美しさ、生き物がまさに生きている・・・、このようなまちづくりが私たち宮田町に十分参考となるものでした。宮田のよさ、財産、それは・・・をみんなでたいせつにして、また核にして地域づくり・まちづくりを進めましょう。それは、ますます行政と住民のパートナーシップが肝要となりましょう。
 綾町のみなさんますますのご発展を期待します。その発展は、私たちへの励みになります。またいつかお訪ねします。






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