NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が始まりました。官兵衛(黒田如水)と関わる地域は、昨年の放送決定後より盛り上がっています。県内では福岡城のある福岡市、官兵衛が滞在した飯塚市、家臣の母里太兵衛の墓がある嘉麻市、官兵衛・長政と黒田二十四騎が祭られているお宮がある黒崎、官兵衛の宿敵である宇都宮氏の本拠地築上町など。
では、宮若と官兵衛との関わりはどうでしょうか。
龍徳の光明寺背後の墓地群の中に、官兵衛の義理の姉で初代藩主長政の伯母である尼公という人の墓があります。上部に梵字、左右に「慶長十八年(注:一六一三年)十一月十九日」、中央下部に「量譽妙壽」と刻まれています。『宮田町誌』に、「俗に尼公墓という。播磨国志方城主櫛橋豊後守の長女で、同国上月城主上月八郎に嫁し夫の没後尼となる。長政が名島入城後招かれて同城にあったが慶長十八年死去した。時に光明寺の三世住職呑龍は櫛橋豊後守の家臣石橋三太夫の二男であった縁故により、尼公の遺体をこの寺に葬るという。」と書かれています。
官兵衛の妻は櫛橋伊定の娘光( てる、幸円)で、尼公の妹になります。この時期播磨国は織田信長につくか、毛利方につくか混沌とした時期で、信長の命により羽柴秀吉が播磨攻略を行います。櫛橋家は滅ぼされ、上月城も天正六年(一五七八年)落城し、夫八郎(他の文献や『黒田家譜』では十郎と記す)は討死。官兵衛はすでに信長についてお.り、秀吉とともにこの攻略に参戦していました。まさに、光の実家と姉の嫁ぎ先を滅ぼすのです。官兵衛は義理の姉を助け、黒田家で世話したのでしょう。