旧「かっぱ村」(平成18年3月閉村)を


記念して、このページを捧げます。

 


宮田文化村

河童福祉の里

 宮田町本城JRバス停横の本城四差路から鞍手町に向かってほぼ1kmほどで進みますと右に「かっぱ村」の赤旗が迎えてくれます。
上写真の村に入ると等身大の力士カッパが仁王立ち!



 吉田 龍四郎さん 「人生二役」


 筑豊路をいくと、ほうぼうにみかける河童像、宮田町地域交流センターの隣の宮田消防署にも等身大の河童が消防署の「署」というイメージをやわらげるかのように立っています。また、あるところでは、「いらっしゃいませ」というように客を迎えてくれている乙女カッパに、思わず心はしゃぐ私たち。
 このようなカッパたちの多くの生みの母は、吉田龍四郎さんと聞いています。
 吉田さんは、直方市植木出身。名のとおり農家の四男として1928年に生まれ、兄とともにガソリンスタンドで30年間働きました。あるとき、かねてから興味があった陶芸を志して窯元巡りを始めました。そうこうして25年前、宮田町千石に「筑窯」を開きました。
 しかし、「一萩二楽三唐津」というこの陶芸の世界に、作品に興味を示す人はいても、独りで学んだ作品はなかなか売れず、初志貫徹が壊れそうになりましたが、その中でカッパの芸風が徐々にできていったようです。
 そのようなとき、あの「芸術は爆発だ」と言った故岡本太郎さんから「だれもできんのが芸術。カッパを追究していけばいつか世に出る」とアドバイスを受けました。
 この言葉に「勇気・元気」を得た吉田さんの気持ちに感動した近隣の青年たちが廃材や部材を持ち寄り、1986年に「宮田町かっぱ村」を開村しました。そのうち陶芸教室「匠の里」をも開いて地域の人に陶芸を教えたり、「遠賀川のカッパたち」などの異色の物語を発表したりして「カッパ作家」として定着していきました。吉田さん作の河童の像は、公共施設等に寄贈されるなどもして、「宮田町」イコール「カッパ村」というほど、イメージ化されるほどになりました。
 吉田さんはあの伊能忠敬が言った「人生二役」を地にいっている人であると思います。豊富な人生経験に裏打ちされ、発想豊かで、ユーモアがあるおしゃべりは、素晴らしいです。全国から講演等にお招きが多いので、多忙な日々をおくってあります。

 「根養えば、幹おのずから育つ」という言葉、まさに吉田龍四郎さんです。

 みなさん、宮田町のかっぱ村にお寄りになりませんか。緑の木々を通ってきたさわやかな風とともに、カッパたちが迎えてくれます。                           (H14.1.31現在)


「植木三申踊り」の陶人形と作者の吉田さん(右)とお弟子さん
(上写真:読売新聞H.13.9.23より)





「匠の里」


 この匠の里を地域の人に陶芸を教えたり、自分の仕事場にしてあります。   入口の右の柱に「訪れる人に安らぎを」(左上写真)と迎えてくれます。
 中を覗いて見ましょう。芸の匠の精神がみなぎっているかのようです(左写真)。真ん中の椅子は、芸を探求する場です。右には制作中の大きなカッパの像があります。
 この部屋で、吉田さんの芸の世界を聞きました。まさにその世界を泳いでいるような境地になりました。是非皆さんも吉田さんにふれてみませんか。







最近(平成14年1月)の作品から


母子かっぱ
 「母子かっぱ」の大きさは高さ10pほどです。むずかる子へ、温かい視線をおくる母親・・・。
 今の時代こそ大事にしなくてはならない姿のように思います。
 
 右は、警察署から依頼されて制作中のカッパです。主にキーホルダーに使われることでしょう。大きさはほんの数センチです。かわいいでしょう。
 このかっぱちゃんを守るためにも「交通安全」!で走りましょう。歩きましょう。

交通安全かっぱ






吉田さんからいただいたお言葉の一つ

 「桃栗3年、柿8年、達磨は9年、おのれは一生、ずぼらの柚子は16年」

 一気に読んでみてください。なかなか唱えやすいでしょう。 吉田さんの生き方、人生観が凝縮されているかのようです。私は、この言葉を口ずさみながら、カッパ村をあとにしました。
  えっ! 達磨さんは9年、この意味が?
  お聞きしますと、達磨さんは、8年間、壁に向かって顔を向け身じろぎせず修行(この修行を「面壁」〔めんぺき〕と称するとのこと)し、その難行の後、1年で悟りを開かれたそうです。

  






場 所

河童村
鞍手郡宮田町本城隠谷

県道55号線沿い バス停河童村下車

T E L・FAX

0949-32-9253


    

「宮田文化村」にかかわるHPリンク集





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