屋敷全景(玄関から) |
解説
炭鉱経営で筑豊御三家の一つとされた貝島炭鉱創業者(貝島太助)一族の貝島六太郎(貝島太助の弟)旧邸「百合野山荘」は、完成から100年の時を経て地元に残る貴重な炭鉱遺産といわれています。現在の所有者は貝島化学工業社長 貝島義朗氏(参照:左下 貝島家系統図)です。 建物は木造一部2階建てで、東西に長く広がります。同社の「百合野山荘調査・分析スタッフの会」(岩田憲明代表)によりますと、1915年に完成し、住宅として使われた建物と、茶室や茶庭を備え、地域や一族のための応接機能を持った建物とが共存すします。宅地は約1万7700平方メートルで、約8万平方メートルの敷地を持ちます。 通用門の「毛利門」から入った玄関前や回遊式庭園の主庭などでは紅葉が楽しめ、散策路ともなる梅園や竹林のほか、鳥居と一対のこま犬を備えた社跡や仏碑、貝島炭鉱の主力だった大之浦炭鉱(宮若市)などを望んだ展望所跡があります。 スタッフの会は「自然の地形をそのまま利用し、建物の建築から造園まで多くの匠(たくみ)の技を統合し、和風の技法に西洋技術を取り入れた。貝島家の多機能住宅施設として歴史的価値は高い」とみています。県も近代和風建築の総合調査の一環で基礎調査を終えています。 貝島製作所元代表取締役で「貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会」の筌場弘則さんは「石炭産業の隆々とした時代がしのばれる。ぜひ保存し、炭鉱の歴史とともに残してほしい」と訴えています。同会会長の原田正彦さんは「貝島家の建物で地元に現存するのは百合野山荘だけ。建物も庭も壮大で、感動した。保存に向け、さらに市や市民にアピールしていきたい」と話していました。(以上 2018/11/29付 西日本新聞朝刊から編集) |
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貝島家の家系図 | ||
貝島百合野山荘・敷地全景 |
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屋敷見取り図 ※一部だけですが、箇所名がある所での場合、クリックするとその箇所の画像が表示されます。 | ||