犬鳴物語6 小方良臣 | |
犬鳴物語(その六) 熊ヶ城 物語 今回は犬鳴のシンボルである犬鳴山(標高五八四メートル)について語ります。実はこの山の頂上に、お城の跡があるのです。戦国時代の宗像氏の端城で、熊ケ城または熊ケ峯城とも言われています。 |
江戸時代に書かれた『筑前国続風土記拾遺』に、熊峯古城として、「緑山畑村扇谷の上高峯也。本丸址(東西十一間 南北六間)及二の丸址等残れり。又馬場(山の東の方)沓洗(山の西の麓)など云所有。誰人の構へたる城なるや不詳。又本谷の内に館原(やかたはる)と云処あり。是此城主の居宅の址ならんか。」とあります。
さらに、山口の毛利家に関する史料で、永禄一二年(一五六九) の項に次のように記されています。 「明る春ほはしらへ御陣替候、若松・芦屋の渡をさせられ、熊か嶺を御越、だんと申所中陣に被成、翌日筑前立花へ近陣よせられ候」と。毛利勢が立花城を攻めた時に、まず筑前の帆柱に陣を敷き、ここより若松、芦屋を渡り、熊か峯(熊ケ城)を通り、だん(福津市壇の原か)で陣を敷き、立花城に向かっています。 熊ケ城は宮若市内の山城では、一番高い山に位置しています。戦国時代の山城は、村の背後の里山的な山に造られるのが一般的です。市内でも宮永の宮永城、龍徳の龍ヶ岳城、祇園岳城など、いざ戦になった折に村人が逃げやすい山に造られています。熊ケ城は、村とは隔絶しています。熊ケ城に立つと、今は樹木で見えませんが、西側に立花城が見えていました。郭も立花城側に築かれ、鞍手・糟屋郡境です。 立花勢の鞍手侵攻を防ぐための城であったので熊ケ城へは犬鳴ダム駐車場より約百メートル行った左の谷より登 |
リ、色テープ伝いに行きます。尾根上から戦国期の通路と思われる尾根筋を行き、兵端基地と思われる平地を見ながら、休みなしで約一時間です。
皆さんは宮若市内に山城が約五〇基あるというと驚かれますか。笠木山城(千石)や龍ヶ岳城などすばらしい城が身近にあります。 「兵(つわもの)たちの夢のあと」を感じられたら幸いです。 |