犬鳴物語12  小方良臣

軍師官兵衛と犬鳴別館




NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が好評です。前回紹介しました官兵衛の義理の姉で、龍徳の光明寺に墓がある「尼公さん」が登場しました。さらに、若宮八幡宮三十六歌仙絵を描いた岩佐又兵衛の父、荒木村重も重要な役として一翼を担っています。後の黒田二十四騎を構成する家臣も続々登場しています。明朗でリーダー格の栗山善助、槍の名手で大酒飲みの母里太兵衛、ニヒルで冷静沈着な井上九郎右衛門など。

実はこの井上九郎右衛門(之房)の書状が如来田瑞石寺にあるのです。吉田長利との連署書状で、慶長五年に丹山衆中(瑞石寺)に出されたもので、初代藩主長政(甲州)が筑前入国にあたり、領主が変わる旨を伝えた書状です。官兵衛や長政とつながる資料です。次のように書かれています。

「 以上

 瑞石寺山中之事
  近年可被任法
  度候、甲州於入

  國者、制札相調

  可進之候、其内狼藉之
  族候ハゝ、此方可被仰
  越候、為其一書如此候
  恐惶謹言

     井上九郎右衛門

 (慶長五年)
   十二月二日   之(花押)
     吉田六郎大夫(花押)
   丹山衆中 」


井上之房、吉田長利連判書状(瑞石寺蔵)

  さて、尼公さんは櫛橋家の長女、官兵衛の妻光の姉、ドラマでは力という名で、女優の酒井若菜さんが演じています。官兵衛との縁談を嫌がる力が、狂言自害騒動を起したシーンを見られたと思います。力は上月城主・上月景貞と結婚します。のちに景貞は毛利方につき、官兵衛も加わる秀吉軍に攻められて籠城しますが、家臣の裏切りにあい、首を取られてしまいます。力と二人の娘は官兵衛により救出され、黒田家に身を寄せました。とドラマは続くのですが、力はほどなく出家し、娘を妹光に委ねて黒田家を出ていくようになると、ドラマのシナリオには書かれています。しかし、このまま出て行ってもらったのでは、宮若としては困るのです。尼公さんの墓存在が、空虚となるのです。再登場があるのでしょうか。登場しなければ、NHKに嘆願しましょうか。しかし、所詮ドラマです。史実とかけ離れ脚色された面が多いですので、まあドラマとして楽しむのもいいでしょう。
 福岡藩の藩祖として、福岡の基礎をつくった官兵衛、それから約二百六十年後、福岡藩の存亡を揺るがす時代を迎えるのです。幕末の動乱の時代、犬鳴別館が建設されるのです。
 二月二日、文化振興シンポジウム「幕末の歴史を動かした犬鳴別館」が、若宮コミュニティセンターで開催されました。会場は、市民を含む県内から多くの方で満杯となりました。まず、三人の先生から「別館建設の背景」「加藤司書と別館」「幕末期城郭としての別館」との講演のあと、シンポジウムとなりました。

 その中で各地の幕末に築造された城の紹介、および中世城郭、近世城郭と並ぶ幕末期城郭という概念が設定されたこと。今まで藩主の逃げ城として位置づけられていた別館が、新資料により君主押込みという藩主排斥の目的のためという説も再度浮上しました。幕府の隠密により藩主押込みが摘発され、幕府の責を逃れるために、司書をはじめ勤皇の志士を処罰(乙丑の獄)したという資料の紹介等、いろいろ成果がありました。このシンポジウムで、さらなる犬鳴別館の解明が進んだといえましょう。
 官兵衛や長政に関わる文化財がある宮若、幕末の歴史を動かした犬鳴御別館、ドラマ「軍師官兵衛」があるこの一年、宮若をピーアルする絶好の機会ではないでしょうか。
       26年2月「緑のそよかぜ」に加筆)


 ( 左写真 福岡藩犬鳴別館)